頓宮南門と回廊及び馬場前

頓宮南門は、慶應4年(1868=明治元年)に「鳥羽伏見の戦」の兵火によって灰燼に帰し、以来約70年間にわたり再建されることがありませんでしたが、昭和13年に山上本宮の南総門が新築されたのに伴い、旧南総門が頓宮南門として移築され今日に至っています。
頓宮南門



また、幕末まで頓宮を方形に囲んでいた回廊は、同じ戦火によりやはり失われたままとなっていましたが、明治維新100年に当たる昭和43年、その復元が企画され、同45年にこれが竣工しました。ただし現在の回廊は、南辺と西辺南半分のみのL字形で、頓宮を完全に取り囲む形とはなっておらず、東辺と北辺東側部分は透塀(すかしべい)、西辺北側と北辺西側部分は頓宮神饌所・参集所の建物に遮られた形となって途切れています。
回廊


なお、この回廊復元工事に先立って、それまで頓宮周囲に亭々と聳えていた数多(あまた)の松の巨木が伐採されましたが、この松並木は「鳥羽伏見の戦」当時、ここに駐屯し官兵として働いた筑後・久留米藩の軍勢が、回廊の焼け跡に土堤を築き、記念に植樹したものであったといいます。
松並木


さて、頓宮南門からはニノ鳥居まで約120メートル、広い平坦な参道が南へ真っ直ぐ延びており、この辺りを山上と同じく「馬場前(ばばさき)」と呼び習わしています。上院の馬場前は石畳の道ですが、下院の方は踏み固められた白っぽい土の道です。右側には八幡宮の摂社・高良社の鳥居や境内などが見え、その背後に男山東斜面の森が迫っている。左側には頓宮駐車場の空地や放生川に架かる「安居橋(あんごばし)」などが見え、その向こうに八幡(やわた)の町並みが広がっています。この馬場前、毎年正月には露天商が所狭しと並び、7月の高良社祭には八幡各区の屋形太鼓が勇壮に練り歩き、9月の勅祭・石清水祭には王朝時代の天皇行幸列が雅やかに再現されるのです。
馬場前